富山県の民謡 越中おわら(風の盆)
富山県 婦負郡 八尾町では 毎年9月1日から 4日早朝まで 越中おわら(風の盆)が 町内総出で風情豊かに町練りされます
(ウタワレヨー ワシャハヤス) 来る春風 氷が解ける (キタサノサ ドッコイサノサ) うれしや気ままに オワラ 開く梅
(越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ ウタワレヨー ワシャハヤス)
唄の町だよ 八尾の町は (キタサノサ ドッコイサノサ) 唄で糸とる オワラ 桑も摘む
(三千世界の 松ノ木ヤ枯れても あんたと添わなきゃ 娑婆出た甲斐がない ウタワレヨー ワシャハヤス)
揺らぐつり橋 手に手をとりて (キタサノサ ドッコイサノサ) 渡る井田川 オワラ 春の風
( 浮いたか瓢箪 軽そに流れる 行く先ヤ知らねど あの身になりたや )
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夜の闇に沈んだ路地を家並みに沿って並ぶ「ぼんぼり」の明かりが淡く照らし出している。その中を2列おわら夜流しの町練りが、夜風に漂うように通り過ぎてゆく。
此処は井田川辺りに細長く肩を寄せ合うように家々が並ぶ、坂の町八尾鏡町「割烹旅館北吉」の玄関前。先頭の男衆の踊り(振り)は、単純な農作業の所作を振付
けて、緩急のメリハリをつけ大地を強く踏みしめるビシツ!という音で、踊りを揃えながら踊っている。踊り手の黒の法被に股引という衣装は代々町内に受け継いで
伝えられているとかで、一見地味に見えても一式30万円はするとのことで、生地は全て正絹で裏地にまで凝った作りとなっており八尾町の人々の「おわら」への思い
入れの深さを思い知らされる。男衆の踊りの後に娘たちの女踊りが続く、振りは八尾の四季を表現したものとかで、昔は花街であった鏡町の芸者衆が踊り、町民は
踊らなかったらしいが、昭和初期に医者で「おわら保存会」会長の川崎順二が、率先して我が子5人の娘を踊りに出したので、それまでの八尾の人々は大切な娘は
人前には出さないという考えを改め、多くの住民が娘を踊りに参加させるようになったという。娘たちの衣装は白地に緋色の四目垣模様を肩と袖に配し裾にはおわら
の歌詞を緋色に染めた特注品である。夜流し町練りの情緒は、前日の「おわら競演会場」八尾小学校野外グランドに集まった1万7千人の観客の前で町内ごとに技量
を競った踊りとはまったく別の雰囲気となっており、そこには見物人を意識した見栄や張ったりは影を潜め、踊り子たちは無我の境地でそれぞれの波長を重ね合わせ
陶酔状態を保ちながら繰り返し踊っている。踊り手の後には絶妙の音締めで弾く本調子の胡弓と三味線が続く、「麦や節」「こきりこ節」と共に富山県三大民謡の一つ
である「越中おわら」は「佐渡おけさ」と同じ「ハイヤ節」系といわれているが、その唄は声、節、味といずれも難しく、声の高さ(キー)は6本(最近では5本でも歌ってい
るとか)の為男性には至難の業であり、前夜の競演会場では、伴奏の高さまで声が上がりきらない歌い手も見られた。厳冬の井田川べりの寒稽古や、一年中の練習
で鍛えている歌い手でも大変という高い調子の唄で、追分節にも似た長く息継ぎを抑えて唄う「おわら節」、それも半音を使わない「陽旋律」の唄であるにもかかわらず、
なんともいえない哀調をかもし出すこの唄には、胡弓の伴奏が欠かせない。この唄の「胡弓」は明治末期「松本勘玄」という輪島出身の漆職人が越後瞽女「佐藤千代」
の胡弓からヒントを得て苦心の末に現在の形を作り出したといわれている。あまり民謡では使わない胡弓が「おわら」では哀調ある情緒を高める地方構成の主役(主旋律)
となっている。2万2千人の八尾町民が、一年をかけて準備し練習を重ねて迎える九月一日から四日早朝までの「風の盆」には、全国から二十五万人もの観光客が
「おわら」の詩情を求めて訪れるというが、それは八尾町民が、「風の盆」にかけた町の造作や保存、踊りや伴奏技量への並々ならぬ情熱や創意工夫努力に、
誰もが心を打たれるからであろう。
(平成12年9月 櫛野節謡)