青 森 県 津軽よされ節 櫛野節謡.
津軽よされ節 歌詞
ハアー 調子変わりの よされ節 ヨサレ ソーラ ヨイヤー
ハアー 津軽よいとこ 住みよいところ(一度はおいで)
ハアー 厚い人情のあるところ 旅の鳥でも一休み 一夜泊まりが七八日
ハアー 四方の山々花盛り 招く姉コは片えくぼ 心あかした薄化粧
ハアー りんご見たさに来た人は りんご作りや子を作り 末は津軽の人となる
一度来てみよ俺が国 ヨサレ ソーラ ヨイヤー
YouTube津軽よされ節
動画
ハアー 調子変わりの よされ節 ヨサレ ソーラ ヨイヤー
ハアー 津軽よいとこ おいらの国よ
ハアー 春は桜の弘前に 盃片手に眺むれば 霞に浮かぶ津軽富士
ハアー 夏はそよ風波静か 大戸瀬 深浦 浅虫や 中でも際立つ十和田湖よ
ハアー 黒石在は秋の頃 続くりんごの紅園に 流れる乙女の郷(くに)の唄
右も左もよされ節 ヨサレ ソーラヨイヤー
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民謡の3要素は1声、2節、3味といいます。私は残念ですが津軽に生まれて育っていません。
したがって津軽の味が表現することができません。津軽の皆さん良い味の唄をもっとアップロードして聞かせてください。
芸は習うものではなく盗むもの、私はもっと唄の味がうまく表現できる勉強中の初心者です。宜しくお願い致します。櫛野節謡
「津軽よされ節」は「津軽じょんから節」「津軽おはら節」とともに津軽の三つ物と呼ばれている。よされの起源伝説としては津軽為信の時代に
黒石付近の百姓与三郎が 豊年祝いの席で唄ったとか やはり黒石の百姓親爺吾助が唄い始めたとか説かれている。たまたま領地視察の為下行した
黒石の殿様と親しくなった吾助は何年かして江戸にのぼる用事が出来 ついでにそば粉三升を土産に 殿様の江戸屋敷を訪ねたが 事情を知らない門番に
追い払われそうになったときに 奥の殿様の耳に届けとばかりに 即興で歌ったのが始まりと伝えるもので 殿様がこの吾助の即興唄に[黒石よされ]と命名したとか
以来そば粉をこねるときの作業唄になったとか話が付け加わっている。こんな伝説もあって よされ節は黒石南津軽郡現在黒石市が本場だと
土地の人は信じており 現在でも黒石よされは七七型の古調を保っている。この黒石よされが 後に秋田県角館地方を経て 岩手県雫石地方に入ったのが
「雫石よしゃれ」であると考えられている一方短詩型のよされ節も 青森県下で唄われている内に 北海道に渡って「北海よされ節」になった。
このよされ節も「津軽」なり「南部」で生まれたものではなく 越後方面から 日本海を渡って流入したものと思われる。秋田県仙北地方に よしゃれ節があり
新潟県北蒲原郡中条町に「柴橋よされ」が伝えられ 同じく新発田市付近の農村でもよされ節が歌われていた。
なを「ヨサレ」を「世去れ」「与三去れ」「余去れ」などに解するのはいずれも後の付会説に過ぎない. (東京堂出版 日本民謡辞典より)