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新潟県 佐渡ヶ島    相 川 音 頭   

源平軍談 五段 義経弓流し

さても源氏のその勢いは  風に嘯く(うそぶく)猛虎の如く  雲を望める飛龍に等し  天魔鬼神も怖れをなして

仰ぎ敬う大将軍は  赤地錦の直垂(ひだたれ)をめし  げにも美々しく出立ち給う  時に平家の大将軍は 

勢を集めて語りて曰く  去年播磨の室山はじめ  備州水島鵯越(ひよどりごえ)の  数度の合戦に味方に利なし

是は偏(ひとえ)に源氏の九郎  智謀武略の弓取り故ぞ  どうか九郎を討つべき手だて

 有らま欲しやとの宣(のたま)いければ  時に景清座を進みい出て  よしや義経鬼神がとても  .......

ドッと笑うてたつ波風の  荒き折節義経公は  如何しつらん弓取り落とし  しかも引き潮矢よりも速く

浪に揺られて遥かに遠く  弓を敵に渡さじものと  駒を波間に打ち入れ給い  泳ぎ泳がせ敵船近く

流れ寄る弓取らんとすれば 敵は見るより舟漕ぎ寄せて 熊手取り延べ打ちかくるにぞ すでに危うく見え給いしが

直ぐに熊手を切り払いつつ  遂に弓をば御手にとりて  もとの渚に上がらせ給う 時に兼房御前に出て

さても拙き御振舞や  たとえ秘蔵の御弓にして  千々の黄金を延べたりとても  君の命が千万金に

かえらりょうやと涙を流し  申し上げれば否よと夫(それ)は  弓を惜しむと思うは愚か  若しや敵に弓取られなば

末の世までも義経こそは  不覚者ぞと名を汚さんは  無念至極ぞよしそれ故に  討たれ死なんは運命なりと

語り給えば兼房始め   諸軍勢皆鎧の袖を   絞るばかりに感嘆しけり   ......

 

佐渡おけさと並ぶ 佐渡の代表的な唄である。佐渡の相川金山が江戸幕府の直轄地であった頃、金山奉行の上覧にそなえるため踊られたもので、

御前踊りと呼ばれていたが、今は相川地方の盆踊りとして踊られるようになった。唄は口説き形式の長編で 謡曲百番くずしや おさん仙次郎心中濃茶染など

 数多く唄われていたことが文献上知られるが、現在最も良く唄われるものが どっと 笑うて...という 源平軍談の義経弓流しのくだりである。源平軍談は 

相川の山田良範作といわれていて (初段 宇治川先陣) (二段 巴の勇戦) (三段 那須与一扇の的) (四段 継信の死) 第五段(義経弓流し)が

どっと笑うて立つ波風の...の部分は 第五段の途中にあたる歌詞である。もとはただ 音頭と呼ばれていたが 大正末期、相川町の有志が おけさと音頭の

普及のため 団体を結成し どっと笑うて立浪風のの歌詞からとって  立浪会と名づけ、レコードに吹き込むとき 単におけさ音頭では 他と区別がつかないので

 地名を冠して佐渡おけさ 相川音頭とした。相川音頭の踊りは 編み笠をかぶるので有名であるが、これは御前踊りの際 奉行に顔を見せる失礼を避けるため 

笠をかぶり まわりに垂れをつけたり 覆面した名残だと 説明しているが、おそらく他所の古風な盆踊りと共通した 一種の扮装で 盆踊りが異郷より来た 

亡霊祖霊の群行であったことの 淡い名残の一端と思われる。    

                                                       (東京堂出版 日本民謡辞典より)

相川音頭踊り 動画  管理人HOME