新潟市の民謡  新 潟 甚 句 

新潟の風物詩である新潟祭り。ここで踊られる「新潟甚句」は新潟地方の盆踊り唄として200年以上もの伝統を持って伝わってきました。その昔水の都といわれた新潟市は信濃川から水を引いた堀が市内を縦横に流れ人々は八千八川と呼んでいました。川のほとりには柳の木が植えられてその青々とした枝が風に揺れる様はえもいわれぬ風情があったといいます。「新潟甚句」はもともと新潟市の盆踊り唄で江戸末期から明治にかけて毎年夏になると堀にかけられた橋のあちこちで夜の更けるまで踊られました。踊り子たちの履く歯の低い下駄の音と若者たちがたたく空樽の乾いた音が調和してカタコトとなんともいえない情緒をかもし出したといいます。明治36年に文豪尾崎紅葉がこの樽の音に感銘して呼んだ「短夜(みじかよ)の夢ならさめな樽砧」の詩で「新潟甚句」は全国的に有名になりました。堀や川を埋め橋も無くなった現在はこうした情景は見られなくなりましたが毎年8月第一金曜日の新潟祭り大民謡流しには[万代橋]を中心に1万人をはるかに超える踊り子が「樽砧」のリズムに合わせて踊り昔の風情と活気を偲ばせます。

「甚句」の定義ははっきりしていませんが通説として「口説き」「音頭」といわれる長編抒情詩的のものに対し七七七五の短詩型のものを総称して「甚句」とよんでいるようです。歌謡学者藤沢衛彦は「甚句」は「地ン句」つまり地の句でその地方で発生した唄の意味だとしています。このほか「神供」で神に供する唄として発生したという説を唱える研究者もありますがいずれも定説ではないようです。伝説では室町時代の天文年間に米相場で巨万の富を築いた刈羽郡の漁師「甚九」が歌った唄がめでたいということでつけられたという話が残っています。

以前「新潟市小学校体育祭」のプログラムの一つに「新潟甚句」総踊りがあり6年生全員が郷土の民謡を心を一つにして踊っていました。

現在は広域合併により新潟市も地方色が拡大分散されこのプログラムは行われていないようです。何とか古き良き伝統を復活できないものでしょうか。

平成5年度からの中学音楽科新学習指導要領の実施に伴い 中学校において民謡歌唱指導が開始されておりますが
新潟市立小針中学校でも昨年に引き続き12月4日〜9日地元の民謡「新潟甚句」の授業が行われました

民謡は方言を唄ったものですから「こぶし」や方言に 音符や50音では表記できない部分が有り 
生徒も今までの音楽教育と勝手が違う部分での戸惑いがあったようです。

我が国の音楽教育は,明治期の学制改革によって日本におけるその近代西洋音楽を中心とした音楽の目覚ましい発展を
とげてきましたが,学校の音楽科教育の現場においては日本の伝統音楽を含む日本の民俗的音楽のすべてを意識的に
排除し, 差別してきた事実があり,そのことによる損失は非常に大きくその結果日本の伝承音楽が急速に消失しつつあります。


一方西欧諸国の初等教育における音楽の教材は,自国の伝統的な音感覚の育成を重視しその国における伝承的な音楽を
中心として扱われていて,子供の頃から国民的な自覚を促し自然のうちに伝統的な音感覚が育成されていると言われています。

 

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